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能登半島地震

2024年1月1日、石川県能登地方で最大震度7を観測する地震がありました。同地方では、23年5月に最大震度6強の地震が発生しています。

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2度の被災乗り越え、少しずつ前へ 石川・珠洲の震度6強から1年

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1年で2度の大地震に見舞われながら、4月に営業を再開した道の駅「狼煙」=石川県珠洲市狼煙町で2024年5月5日午後0時34分、深尾昭寛撮影 拡大
1年で2度の大地震に見舞われながら、4月に営業を再開した道の駅「狼煙」=石川県珠洲市狼煙町で2024年5月5日午後0時34分、深尾昭寛撮影

 石川県珠洲市で最大震度6強を観測した地震から5日で1年が経過した。記者は当時、能登半島先端部の同市狼煙(のろし)町を観光で訪れていて、地震に遭遇した。現地は元日の能登半島地震にも見舞われ、家屋が倒壊するなどの大きな被害が出た。5日に同地区を訪れると、1年で2度の大地震に見舞われながらも、少しずつ復興へと歩みを進める人々の強さを感じた。

心のよりどころも再び被災

 1年前の地震は5日午後2時42分ごろに発生。珠洲市内で1人が亡くなり、同市を中心に1600棟以上の住宅被害が出た。記者は当時、同町の飲食店内で地震に遭い、道の駅「狼煙」の駐車場に避難した。

 あれから1年。狼煙町を訪ねると、道の駅は能登半島地震の被害も乗り越え、日時を限って営業を再開していた。5日は観光客とみられる姿もあった。一方、町内を歩けば何軒もの住宅が倒壊したままの場所もあり、海岸部が隆起したとみられる箇所も。営業を再開していない店もある。

 「(気持ちを)持って行くところがない」と同町の糸矢敏夫区長(69)は2度の大地震による被害を振り返る。地区住民の心のよりどころとなっている神社は5月に被災し、元日の地震でさらに被害を受けた。地区の集会所も昨年5月の地震で壁などに被害が出て修復したばかり。能登半島地震で多数の住民らが身を寄せる避難所として機能したものの、再度の被災となった。

始まる復興 課題も

道の駅「狼煙」では丹生そばランチを4月末に再開した。笑顔でそばを提供するスタッフの小寺さん(右)=石川県珠洲市内で2024年5月5日午前11時12分、深尾昭寛撮影 拡大
道の駅「狼煙」では丹生そばランチを4月末に再開した。笑顔でそばを提供するスタッフの小寺さん(右)=石川県珠洲市内で2024年5月5日午前11時12分、深尾昭寛撮影

 同地区では地域住民が連携して災害に対応してきた。元日の地震では、高齢女性1人の無事が確認できないことが判明。家の中に閉じ込められていた女性を住民たちで救助した。

 100人ほどが暮らす同地区では元日の地震後、多くの人々が2次避難所などへと移った。2月下旬には断水が解消し、現在は50人以上が地区に戻っているという。まもなく同地区で応急仮設住宅の建設が始まる予定で、糸矢さんによると、9割以上の住民が戻る見通しという。

 地区の復興と向き合う糸矢さんだが、住民の3分の2が65歳以上という現状は懸念材料だ。「避難所の運営などは現役世代の人が中心でやってくれたが、(若い人が地域に残れるような)なりわいをどう作っていくのかを考えなければならない」と将来を見据える。

 5日午前11時。道の駅「狼煙」で「丹生(にふ)そば」のランチが始まった。続々と訪れた来店客は、地域で栽培する在来種のそばの味を楽しんだ。

 道の駅は建物には目立った被害がなかったが、水道管の漏水などの被害が出たという。4月4日に木曜・日曜の週2日営業を再開し、大型連休中の2~5日は連続で営業した。

 道の駅スタッフの小寺美和さん(41)は「できるところまで走ってみよう、と取り組んでいる。頑張りすぎずに、少しずつ進めることが大事です」と笑顔で話した。【深尾昭寛】

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