俳優・劇作家の唐十郎さん死去 84歳 紅テント公演

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唐十郎さん=東京都中野区で2011年12月22日、岩下幸一郎撮影
唐十郎さん=東京都中野区で2011年12月22日、岩下幸一郎撮影

 戦後の日本演劇界を代表する一人で、紅テント公演で知られる劇作家・演出家・俳優の唐十郎(から・じゅうろう<本名・大鶴義英=おおつる・よしひで>)さんが4日、急性硬膜下血腫のため死去した。84歳。葬儀は近親者で営む。関係者によると、1日午前に自宅で転倒し、東京都内の病院に救急搬送されていた。

 東京都生まれ。明治大文学部卒業後、青年芸術劇場の研究生を経て1963年、シチュエーションの会(後に状況劇場と改名)を設立。銀座の埋め立て跡のプールに飛び込んだり、新宿でむしろ囲いの野外劇を上演したりするなどの過激なパフォーマンスにより、アングラ演劇と呼ばれた。

 主にロシア演劇を手本にした新劇に対し、ベケットやイヨネスコなどヨーロッパ前衛演劇と、日本の大衆演劇や浅草軽演劇を取り入れた独自の戯曲を発表。演劇本来の姿を探求するため67年、劇場を飛び出して、野外に紅テントを建て上演を開始した。69年には東京都の不許可を押し切って新宿西口広場で上演した「腰巻お仙 振袖火事の巻」で逮捕者を出すなど、世間の大きな注目を集めた。

劇団唐組「百人町」の稽古(けいこ)風景。中央が唐十郎さん=濱田元子撮影
劇団唐組「百人町」の稽古(けいこ)風景。中央が唐十郎さん=濱田元子撮影

 毎年、複数の戯曲を発表。70年に「少女仮面」で岸田国士戯曲賞を受賞し、劇作家としての地位を確立した。また、状況劇場は麿赤児さん、小林薫さん、最初の妻の李麗仙さんら個性豊かな俳優を多く育てた。88年に状況劇場を解散し、唐組を設立後も新宿花園神社境内を中心にテント公演を続けた。2003年上演の「泥人魚」で紀伊国屋演劇賞、鶴屋南北賞など受賞。これまで100本以上の戯曲を発表し、蜷川幸雄さん演出などにより多くの劇団で上演され、日本の演劇界に大きな影響を及ぼした。また作品は海外でも翻訳紹介され、10年には韓国の李炳注国際文学賞を日本人として初めて受けた。

 小説にも才を発揮し、78年に「海星(ひとで)・河童」で泉鏡花賞、83年に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞した。

 12年5月、自宅前で転倒し、脳挫傷と外傷性脳内血腫のため半年間入院。その後、自宅でリハビリを続けた。21年には文化功労者に選ばれ「次の演劇人に結びつければ、なおうれしいです」とコメントしていた。息子の大鶴義丹さんと大鶴佐助さん、娘の大鶴美仁音さんも俳優として活躍している。

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