「タイソン前座」で飛躍した名王者 「ドーム決戦」に寄せる思い

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1988年3月に東京ドームで行われた日本タイトルマッチで勝利し、当時所属していたワタナベジムの渡辺均会長(右)にねぎらわれる吉野弘幸さん=吉野さん提供
1988年3月に東京ドームで行われた日本タイトルマッチで勝利し、当時所属していたワタナベジムの渡辺均会長(右)にねぎらわれる吉野弘幸さん=吉野さん提供

 大型連休で最注目のビッグイベントといえば5月6日、ボクシング世界スーパーバンタム級4団体統一王者の井上尚弥選手(31)=大橋=の防衛戦だろう。東京ドームでルイス・ネリ選手(29)=メキシコ=を迎え撃つ。ドームでボクシングとくれば、一定の年齢層なら「タイソン」の名が思い浮かぶのではないか。だが、そのタイソンより先にドームのリングに立ち、飛躍を遂げたボクサーがいた。

 「当時は昭和。いつの間にか令和になって……」。こう苦笑するその人は今、東京の下町で注目の一戦を心待ちにしている。

 東京ドームで初めてボクシングの試合が行われたのは、1988(昭和63)年3月21日だった。日本初の屋根付き球場の東京ドームでは4日前に完工式、3日前には江川卓投手の引退試合も兼ねてプロ野球のオープン戦、巨人―阪神戦があった。そんな球場のこけら落としの一環として行われたのが、世界ヘビー級王者のマイク・タイソン選手(米国)の防衛戦だった。

 ボクシングの試合、興行はメインイベントの前に「前座」として数試合が組まれる。この日のメインはもちろんタイソン―トニー・タッブス選手(米国)戦。そして、前座の最初に登場したのが、日本ウエルター級タイトルマッチに臨んだ吉野弘幸さん(56)だった。

 当時20歳だった吉野さんは、王者の坂本孝雄さんに挑んだ。メインは本場ラスベガスが近い米国西海岸の夜のゴールデンタイムに合わせるため、日本時間午後0時半開始に設定されていた。そのため、午後の開始が一般的なボクシング興行にあって、前座の吉野さんの試合は午前10時開始という異例の早さとなった。

 「普段ならあり得ない時間。(前日は)よく寝られたかって? あんまり覚えてないなあ」

「タイソン以外は眼中なし」だったド…

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