高校野球の「改革者」 特待生問題にも尽力 奥島孝康さん死去

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奥島孝康・日本高野連会長=阪神甲子園球場で2014年3月21日、山崎一輝撮影 拡大
奥島孝康・日本高野連会長=阪神甲子園球場で2014年3月21日、山崎一輝撮影

 日本高校野球連盟の第6代会長を務めた奥島孝康さんが1日、亡くなった。2008年の就任直後に特待生問題に取り組み、新制度を適用し、元プロの学生野球資格回復の条件を緩和するなど、高校野球を時代の潮流に合わせた「改革者」だった。

 数々の難局を乗り越えた。元早大総長で、08年、脇村春夫前会長の後任として第6代会長に就任した。まず取り組んだのは、就任前から有識者会議のメンバーとして関わりがあった特待生問題。12年度に「1学年5人以内」とする高校野球特待生制度を適用することで、難しい課題を解決してみせた。

 11年の東日本大震災発生直後には、センバツ大会の開催に尽力。「がんばろう!日本」を大会スローガンに掲げ、東日本大震災の被災者や救援に携わる人々を応援する大会と位置付け、入場料収入の一部を義援金として被災地に送り、甲子園内で募金活動を実施するなどした。

 元プロの学生野球資格回復の条件を大幅に緩和させ、プロアマの交流を促進させた。高校野球100年を迎えた15年に退任。次代の高校野球に数多くの遺産を残した功労者だった。【大東祐紀】

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