「神輿おろし」数百年の歴史に幕 担ぎ手減少 京都・水無月神社

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力を合わせ、城山公園から神輿を下ろす若者たち=与謝野町弓木で2024年5月1日、塩田敏夫撮影
力を合わせ、城山公園から神輿を下ろす若者たち=与謝野町弓木で2024年5月1日、塩田敏夫撮影

 京都府与謝野町弓木区にある水無月神社の春の例祭で神輿(みこし)渡御が1日行われ、数百年続くという「神輿おろし」に幕を閉じた。城山山頂の神輿蔵からふもとまで、急峻(きゅうしゅん)な参道を100人を超える若者たちが「ヨイサ」の掛け声と共に神輿を担ぎおろす伝統行事で、担ぎ手の減少から、有終の美を飾ることになった。

 午前6時、城山公園になっている標高100メートルほどの山頂の神輿蔵を出た神輿は、ホラ貝の合図で崖のような斜面の参道をゆっくりと下り始めた。途中、神輿を担いだ若者たちは何度も立ち止まりながら、声を合わせてふもとまでたどり着いた。

 弓木区の糸井康裕区長(63)の話では、神輿おろしがいつ始まったか記録はない。城山公園には戦国時代、一色氏の砦(とりで)があったとされ、糸井区長は「細川方から何度も攻撃されたが、鉄砲の名手が撃退したと祖父が語っていた」と話した。

神輿渡御は続く

 今後は、ふもとで神輿を保管し、神輿渡御は続ける予定という。【塩田敏夫】

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