「音速の貴公子」アイルトン・セナ没後30年 企画展に込めた思い

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アイルトン・セナ=2004年7月収集 拡大
アイルトン・セナ=2004年7月収集

 自動車レースのF1世界選手権で年間王者に3度輝いたアイルトン・セナ(ブラジル)がレース中の事故で亡くなり、1日で30年がたった。伝説的なドライバーは、F1日本グランプリ(GP)の開催地である三重県鈴鹿市で今もしのばれている。

 新名神高速道路の鈴鹿パーキングエリア(PA)では、ホンダが1964年のF1初参戦から60年を記念した特別企画展「セナが駆ったF1マシンとHondaエンジン」が6月28日まで開かれている。セナが90年に2度目の年間優勝を果たした時に乗っていたマクラーレンの「MP4/5B」を展示。エンジンを見ることができるよう車体を覆う「カウル」は取り外してある。

 例年秋に行われてきた日本GPは今年、決勝を4月7日に迎えた。3月28日に始まった企画展はホンダにとって節目の年に初めての春開催への機運を高めることが狙い。だが、主催する鈴鹿市の担当者は「今年がセナが亡くなって30年であることも企画した理由の一つ」と明かした。

 鈴鹿サーキットで初めて日本GPが開かれた87年は、中嶋悟が日本のドライバーとして初めてフル参戦したシーズンだった。セナは中嶋と同じロータスに所属し、日本でも注目される存在となった。

 88年にはマクラーレンに移籍。ホンダのエンジンを積んだマシンで日本GPではスタートに失敗しながら追い上げて制し、自身初めての年間優勝を決めた。テレビ中継では「音速の貴公子」と称されるなど、サーキットを疾走するセナの速さに魅せられた日本のファンは多かった。

鈴鹿サービスエリアで展示されているアイルトン・セナが乗っていたマシン=NEXCO中日本提供 拡大
鈴鹿サービスエリアで展示されているアイルトン・セナが乗っていたマシン=NEXCO中日本提供

 だが、ウィリアムズに移籍した94年、イタリア・イモラサーキットでのサンマリノGP決勝でコーナーを曲がりきれず、壁に衝突して亡くなった。まだ34歳という若さだった。

 日本ではバブル経済崩壊の影響もあってF1への注目度も下がっていったが、最近は動画配信サービスを通じて米国をはじめ世界的に盛り上がり、日本でも人気回復の兆しを見せる。参戦4年目を迎えたRB所属の角田(つのだ)裕毅選手の奮闘もあり、4月の日本GPでは3日間で23年を上回る計22万9000人の観衆を集めた。

 鈴鹿PAでの特別企画展は日本GP後もファンのほか、偶然立ち寄ったドライバーたちの目も引いている。市の担当者はセナが鈴鹿サーキットで繰り広げた悲喜こもごものドラマを振り返りながら、「セナが自らの活躍とともに、鈴鹿の名前を世界に押し上げてくれた」と感謝すると、「実は……」と切り出した。

 「企画展の開催を発表した3月21日は、セナの誕生日なんです」

 思いは細部にまで通じている。【村社拓信】

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