ウエディングドレスなどブライダルデザインの第一人者として知られる桂由美(かつら・ゆみ、本名結城由美=ゆうき・ゆみ)さんが26日、死去したことが30日、分かった。

株式会社ユミカツラインターナショナルが発表した。94歳。東京都出身。葬儀は行わず、追悼ショー(しのぶ会)を後日開催予定という。

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桂由美先生が亡くなった。訃報記事の「94歳」という文字を複雑な思いでながめている。

多くの有名人や、芸能人のウエディングドレスを手がけたブライダルファッションのレジェンド。東京・乃木坂にかわいいお城のように建つ、白い「桂由美ブライダルハウス」。その中で、10年近く前に話を聞いていると、80歳を超えていた桂先生は「年齢は書かないでちょうだい。古くさいファッションだと思われたら嫌だから。お願い」と言い出した。

「何を言うんですか。誰が“桂由美のウエディングドレス”を古いと思うんですか。きれいな女優さんたちが、こぞって着たがるじゃないですか」と返したが、桂先生は少女のように恥ずかしがりながら「お願いよ」と強調した。デスクに了解をとって、その日から桂由美先生の記事では年齢を入れないことになった。

それからしばらくして、「桂由美 グランドコレクション イン東京」というイベントが開かれた。30分前に到着して、取材陣の控えの間で待機していると、広報担当者が「桂由美から取材の方たちにお願いがあります」と説明があって、桂先生が登場した。「年齢を入れないで、古くさいファッションと思われるから」。結果的に年齢を入れなかったが、記者の笑いながらの対応に不安があったのだろう。全マスコミに対してのレジェンドのお願いに驚いた。

そして、17年に乃木坂の“白いお城”に「カフェ・ド・ローズ」という喫茶店をオープンした時にも話を聞かせてもらった。「私のお店を敷居が高いと感じる人がいるようです。結婚が決まる前に、恋人同士で気軽に訪ねて来られるような場所にしたい」と話していた。内装が、とてもおしゃれでインタビュー場所として、何回か使わせていただいた。でも、作詞家の売野雅勇先生をインタビューした時は、隣の席に元ピンクレディーの未唯mieさんがいてドキドキした。

1964年(昭39)に桂先生は、日本で初のブライダル専門店を開いた。そして、結婚にまつわる世相の変化を長らく見てきた。「結婚は男性主導から、女性主導に変わりました。『お嫁にもらう』『25歳をすぎたら女性もクリスマスケーキと同じ売れ残り』なんてことは、もうありえません」と言い切った。

そして、花婿学校を作る構想を明かしてくれた。「男性にプロポーズの仕方や会話、マナー、身だしなみを教えて応援したい」。当時、50代半ばで独身だった記者は「ぜひとも、入学させてください。そして結婚ができることになったら、ぜひ衣装を作ってください。なんならウエディングドレスでも構いません」とお願いした。桂先生は大笑いしながら「頑張らなくちゃいけませんね」と言ってくれた。

頑張りが足りなかったのか、記者はその後も独身のまま。華やかで、たくさんの人に慕われた先生のおかげで、芸能記者生活自体は、楽しく輝いていた。ありがとうございます。天国に行っても、新たな夢を語ってください。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】

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