【ナゴヤ球場で一喝】中日石橋康太に鋭い叱責の雨あられ 温厚な田村さんがき、厳し~

今回は、田村藤夫氏の「プレミアムリポート」としては、超レアな武骨インタビューをお届けします。64歳の田村氏と、中日のプロ6年目・石橋康太捕手(23=関東第一)の、親子ほども年の差のある関東第一の先輩後輩インタビューです。

3月下旬、開幕直前のナゴヤ球場。となれば、この時期にファームにいる石橋とは、かなり突っ込んだ会話になります。

石橋は関東第一から高卒でプロ入りした捕手として、まったく同じ経歴の田村氏の直系の後輩。プロ入りした19年、田村氏は中日2軍バッテリーコーチだったという縁もあり、愛弟子といえるでしょう。いつもの穏やかで、少し控えめな田村氏の口調はなく、社交辞令も、オブラートに包んだ表現も一切省き、そのままズバリ核心を、愛弟子相手に突きつけています。今季、ドラゴンズの正捕手に挑む6年目石橋捕手の現状を、たっぷりお届けします。どうぞ、最後までご覧下さい。

プロ野球

◆石橋康太(いしばし・こうた)2000年12月7日、千葉県生まれ。小学生から捕手として活躍し、6年時にロッテジュニアに選出され12球団ジュニアトーナメントに出場し準優勝。千葉市リトルシニアから関東第一高に進学。2年夏の東東京大会で4本塁打を放つなど、高校通算57本塁打。18年ドラフト4位で中日に入団した。1年目に球団史上初となる高卒新人でのスタメンマスク。23年は39試合に出場し、打率2割5分7厘、2本塁打、15打点。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

「ただな、それは…」

田村氏おお、お疲れさま。

石橋こんにちは、お疲れさまです。

田村氏はあ~(深いため息)、最近は? なにかやらかしてないのか?

石橋はい。ファームでやらかしました。カットボールをしっかり捕れなくて、振り逃げにしてしまいました。え~と、やらかしたのは、それくらいです。

田村氏それだけあれば、十分だ!

石橋はい、すいません。

田村氏フフフフフ。

石橋あの~、風が強くて…

田村氏言い訳してんじゃないよ! フフフ。

石橋そうですね、はい。すいません!

田村氏守りはキャッチャーの基本だからな。いいか? キャンプから1軍に参加しました、それで、ここに帰って来てちゃ、だめだろ!

石橋はい、そうですね。本当にそうだと思います。

田村氏うん、分かってるならいいけど。

石橋はい。それで1軍に参加させてもらったんですけど、なかなか試合に使ってもらえなくて。それで、自分の中でこの状況でどうやって、前向きというか、積極性を出せばいいのか、ここ数日は自問自答している感じでした。

田村氏分かるよ、お前の言いたいことはよく分かる。ただな、それはお前が感じてるだけなんだろ? 何か具体的なことを言われたわけじゃないんだろ?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。