「最低限度の生活」守る 検察官から弁護士に転身、西山貞義さん

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西山貞義弁護士=富山市で2024年4月12日午後1時8分、萱原健一撮影 拡大
西山貞義弁護士=富山市で2024年4月12日午後1時8分、萱原健一撮影

 「富山地裁判決は司法の役割を正面から果たした」。2013~15年の生活保護費の基準額引き下げは生存権を保障した憲法に違反するとして、富山市の受給者5人が市の減額処分の取り消しと国家賠償を求めた訴訟。西山貞義さん(47)は15年の提訴時から原告弁護団の主任弁護士を務める。裁判は約9年に及び、1月24日の判決で処分の取り消しを勝ち取った時は「正直、ホッとした」という。

 判決は、生活保護世帯の可処分所得を調べる際に厚生労働省が用いた指数は「実態と大きく乖離(かいり)したもの」で所得が過大評価されたと指摘。賠償請求は退けられたため控訴したが、判決を「デフレ調整(物価動向を踏まえた減額)のおかしさに踏み込んだ」と評価する。

 これまで100人近くの生活保護利用者を支援してきた原点に自らの「最低限度の生活」体験がある。分子生物学者を目指して大学の理学部に進んだが、4年生の時に父親が経営する会社が倒産。その際、破産手続きなどで親身になってくれた弁護士の姿に、自身も弁護士になることを決意した。大学卒業後3年間、日雇い派遣や自動車工場の期間従業員などで生活費を稼ぎながら、司法試験の受験勉強に打ち込んだ。心身ともに余裕はなく、経済的にも「最低限度の生活」だった。

 こうした自身の体験を、23年8月14日の結審時の法廷で意見陳述として語った。そして、「財政をしっかりやりくりして、すべての国民の『最低限度の水準』を守る。これこそが、現行憲法によって国家に課せられた義務なのです」と訴えた。28回に及んだ口頭弁論を通じ、基準引き下げの根拠となった物価指数の算出方法の問題点などを指摘してきた弁論とはひと味違う、熱い陳述だった。

 キャリアのスタートは図らずも検察官だった。司法研修所の指導教官の勧めで07年から務めたが、徒労感が残った。検察官の仕事は罪を犯した人に刑罰を求めること。「それがその人の人生を良くすることにどれだけ効果があるのか」。3年後、弁護士に転身した。

 生活保護利用者の支援では「挫折体験」がある。ある年の夏、車上生活をしてきた男性が救急搬送されたとの連絡を受け、病院で治療させた。一度回復したが、3日後に亡くなり、「他に支援のやりようがあった」と悔やんだ。生と死が直結することを実感した出来事は、生活保護問題をライフワークとするきっかけとなった。

 弁護士としての心構えは「諦めないこと」。文献調査も弁護活動も妥協すれば、真実が見えてこない。生活保護訴訟でも国側の主張を論破するため専門書を読み込み、学者と議論してきた。「今回も諦めたら勝てなかったと思う」と振り返る。

 事故、傷病、精神疾患、介護、倒産、失業、離婚、老齢、障害。「これらは誰の人生にも起こりうる。一部の困っている人を救えばいいのではない。生活保護を自分も利用する可能性があるということを前提に社会全体で考えねばならないんです」【萱原健一】

 ■人物略歴

西山貞義さん

 1977年生まれ、滋賀県出身。神戸大理学部生物学科卒。コーヒーが大好きで甘党。イタイイタイ病弁護団に所属し、原因企業の三井金属神岡鉱業所(現・神岡鉱業)の立ち入り調査に携わる発生源対策主任弁護士を約8年務めた。住宅の手抜き施工や設計ミスなどで損害を被った人を救済する「欠陥住宅対策北陸ネットワーク」の共同代表も務める。

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