「安全に到達点はない」 旭日大綬章のJR東日本元社長、清野智さん

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質問に答えるJR東日本の清野智顧問=東京都渋谷区で2024年4月25日、内藤絵美撮影 拡大
質問に答えるJR東日本の清野智顧問=東京都渋谷区で2024年4月25日、内藤絵美撮影

 今春の叙勲で、元JR東日本社長の清野智さん(76)が旭日大綬章を受章した。長年にわたって鉄道事業に携わり、2011年3月の東日本大震災発生時には社長として新幹線の復旧などの陣頭指揮を執った。政府観光局理事長なども務め、地方への観光誘客にも取り組んだ。

 今回の受章に、清野さんは「極めて光栄なこと。職場を含め、いろんな関係者の支えがあったことを感謝したい」と喜びを語る。

 仙台市出身。1970年に国鉄入社後、87年の国鉄分割・民営化でJR東日本に入社し、06年から社長を6年間、12年から会長を6年間それぞれ務めた。

 「私自身の人生に影響を与えた」と振り返るのが震災だ。地震発生時、東北新幹線の車両は仙台駅を出た直後。車両は緊急停止でき、乗客は全員無事だったものの、駅では新幹線ホームの天井板が崩れ落ち、電光掲示板も壊れて転がった。あと2、3分早ければ、列車を待つ客に甚大な被害が出たかもしれない。「(発生時刻の)午後2時46分は、我々にとっては神様が選んでくれた時間だった」

 鉄道人生で印象に残るのは、JR東日本の初代会長で三井造船会長などを務めた山下勇氏(94年死去)の「とにかく神様にしかられないようにやっていこう」という言葉だ。安全のために精いっぱい努力を続けることが鉄道事業者の責務。その思いから、自身も「安全に到達点はない。無限の努力をやらなければならない」と肝に銘じてきた。JR東日本が掲げる「究極の安全」の理念は、現役社員たちにも連綿と受け継がれているという。

 観光振興への思いも強い。JR東日本会長だった15年に東北観光推進機構の会長に就任し、18年からは政府観光局理事長を務めた。今年のインバウンド(訪日外国人)客数は、新型コロナウイルス禍前の年間3188万人を上回る勢いだ。日本は自然が豊かで風光明媚(めいび)な観光地も多いが、東北地方などではそれらが点在して周遊しにくいという課題もある。そのため関連業界や自治体には「(観光資源の有効活用は)単独の地域だけでは限界がある。地元プラスアルファという意識で連携してほしい」と期待する。

 18年から日本野球連盟会長も務めている。「社会人野球は地域への思いと選手の必死さ、ひたむきさが魅力」と醍醐味(だいごみ)を語る。「地域と一体となって(都市対抗野球の本大会が開催される)東京ドームにみんなで応援に行く文化は大事。もっとにぎやかにしていきたい」と笑顔を見せた。【佐久間一輝】

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