中華航空機事故 当時出動の救急隊「3歳児のぬくもり、今も」
毎日新聞
2024/4/26 05:31(最終更新 4/26 11:55)
有料記事
1866文字
- ポスト
- みんなのポストを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
今年1月2日。東京・羽田空港で日本航空(JAL)と海上保安庁の航空機が衝突し、炎上するニュース映像に、胸の鼓動が速くなるのを感じた。頭をよぎったのは30年前のあの日の出来事。「負傷者はいるのだろうか……」【酒井志帆】
<主な内容>
・燃え上がる機体、散らばる遺体
・暗闇に響いた男児の泣き声
・事故が示した教訓
・後輩に託す思い
乗客乗員264人が犠牲となった中華航空機事故(1994年)から26日で30年となる。現場で救助にあたった愛知県内で消防署長を務める高木幸彦さん(59)は、退職まで残り1年となった今、「消防人生で最大の事故」を振り返り、改めて消防・救急の責務の大きさと向き合っている。
燃え上がる機体、散らばる遺体
94年4月26日午後8時過ぎ。高木さんは愛知県豊山町の名古屋空港(現・県営名古屋空港)すぐ近くの消防署で、いつも通り勤務についていた。
「エアバス機が墜落、炎上」。突然、無線が鳴った。内容がすぐにはのみ込めなかった。「本当に飛行機なのか?」。半信半疑のまま、救急車に飛び乗った。
救急隊の最先着隊として空港に…
この記事は有料記事です。
残り1398文字(全文1866文字)