「文子の警鐘に耳傾けて」 弱者に寄り添った女性研究者、しのぶ会

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祭壇に飾られた佐藤信子さんの遺影=甲府市の山梨県立図書館で2024年4月20日、去石信一撮影 拡大
祭壇に飾られた佐藤信子さんの遺影=甲府市の山梨県立図書館で2024年4月20日、去石信一撮影

 差別や虐待を生む「権力」に挑み、獄死した金子文子(ふみこ)の研究で多くの功績を残した佐藤信子(のぶこ)さん(2022年10月死去)を「偲(しの)ぶ会」が20日、甲府市であった。弱者に寄り添い、親しみやすい人柄の中に「一本筋が通った人」と、参列者は涙し、在りし日の姿を振り返った。【去石信一】

 佐藤さんは1930年生まれ。中学校教員や「山梨文芸協会」会長などを務め、92歳で死去した。山梨県内で育った文子を対象にした「やまなし金子文子研究会」の会長も務め、偲ぶ会は両会が主催した。

佐藤信子さんの功績と人柄を振り返った「偲ぶ会」=甲府市の山梨県立図書館で2024年4月20日、去石信一撮影 拡大
佐藤信子さんの功績と人柄を振り返った「偲ぶ会」=甲府市の山梨県立図書館で2024年4月20日、去石信一撮影

 金子文子は、朝鮮出身の夫、朴烈(パクヨル)とともに時代に抵抗して闘い、韓国でも評価されている。偲ぶ会には、佐藤さんと交流があった4人が韓国から来日。教え子も含め約50人が出席した。

 偲ぶ会実行委員長の水木亮・山梨文芸協会元会長は「(文子が7年間住んだ今の)韓国にも行き、文子の研究を熱心にしていた。他にも山梨ゆかりの女性に注目し、地元(文化)の土を掘った」と佐藤さんをたたえた。

 韓国にある国民文化研究所の金昌徳(キムチャンドク)会長は「(佐藤さんの心は)弱者に向かった。軟らかい表現の中に鋼鉄の意志があった。文子の生涯は韓国で映画などになり、知る人は多い。佐藤先生のお陰」と述べた。佐藤さんの長女、岩田恵さんは「素晴らしい人たちに恵まれた母だった。幸せだったでしょう」と感謝した。

命かけ現代にも「警鐘」

権力を敵視し、獄中で自殺した金子文子 拡大
権力を敵視し、獄中で自殺した金子文子

 「権力」が差別や虐待を生むと考え、虚無主義を抱いた金子文子。1926(大正15)年、皇太子(後の昭和天皇)を殺害するため爆弾を入手しようとしたとされる大逆事件で死刑判決を受けた後、獄中で自殺。わずか20年余りの生涯を閉じた。

 文子を虚無主義に導いた要因の一つは生育環境だ。出生届さえ出されず、生まれた年も諸説ある。今の山梨市で育ったが、無籍者のため、頼み込んで通った学校ではよそ者扱いの差別を受けた。

 父は女性を家に連れ込んでは母を殴り、やがて母の妹と暮らすため家を出た。母は何度か違う男性と同居し、生活費に困って文子を置き屋に売ろうとしたこともあった。母方の祖父母の五女として戸籍に入れられると、母親が姉となるいびつな家族関係になった。

 朝鮮に住む叔母夫婦の養女にされた時は、食事も満足に与えられずに家事にこき使われた。「七年間の朝鮮生活は思想形成に重大な影響を与え、(優位な立場の日本人から虐待される朝鮮人に対し)自分と同じ不遇な立場にあるものという共感をもたせた」と佐藤さんは遺稿で書く。

 文子は「苦しめられている人々と共に、苦しめている人々に復讐してやらねばならぬ」と考えたことを手記で書き残している。

朴烈 拡大
朴烈

 その後、山梨に戻されると、父は財産を目当てに文子を寺の住職に嫁がせようとした。しかも血がつながった叔父が相手だった。

 文子は境遇を変えるには勉学が必要と考えて上京し、既存の価値観や権威を否定する虚無主義にたどり着いた。弱者への抑圧の原因が、親や国家の「権力」にあると思い、その象徴と考える天皇制を否定。後に夫となる朴烈と出会い、アナキズム活動に傾倒した。佐藤さんは「朴烈は、朝鮮民族として自分の国が解放されることを当然思う。権力に対する反逆で、2人は結ばれた」と書いている。

 活動は官憲に目を付けられ、23年の関東大震災の発生2日後に拘束された。大逆罪で起訴されたが、計画に実態はなく、事件は当局のねつ造とも言われる。だが、文子は主張を堂々と披歴できる法廷という場所を得た。動機を積極的に証言することで社会の矛盾を突き、「人間は平等。ばかも利口も強者も弱者もない。地上は権力という悪魔に独占されている」と訴えた。

 26年3月の死刑判決の直前、朴烈との婚姻届を提出している。「大逆罪を言い渡された自分の骨を埋めてくれる墓は日本にはない。朴烈と葬られることを望んだ」と佐藤さんは思いやる。2人は無期懲役に減刑されたが、文子は自殺。遺骨は朴烈の兄が引き取った。

 朴烈は45年10月まで服役した。韓国にある「朴烈義士記念館」は、文子についても丁重に紹介している。

 佐藤さんは、文子が「人間は自由平等であると信念を守り、権力に対する追従を潔しとしなかった」と指摘し、「私たちが生きていく上で、文子の警鐘に耳を傾けなくてはいけない」と訴える。

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