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腐っていた“最後のエース”15年越しの恩返し 日産復活のキセキ

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休部前最後の都市対抗で力投する石田祐介さん。準決勝までの全4試合で先発を務めた=東京ドームで2009年8月30日、徳野仁子撮影
休部前最後の都市対抗で力投する石田祐介さん。準決勝までの全4試合で先発を務めた=東京ドームで2009年8月30日、徳野仁子撮影

 あの年、日産自動車の“最後のエース”は右腕を振り続けた。クビを覚悟していた立場から、野球部に恩返しできる喜びを胸に……。そして今、15年前と変わらぬ思いを抱き、新興チームを東京ドームに導こうと汗を流している。

 白地のユニホームに赤色の背番号「11」の選手が、右の拳を力強く握る後ろ姿。東京都の社会人チーム、JPアセット証券野球部のヘッドコーチ、石田祐介さん(41)は、そんな自身の画像を通信アプリLINE(ライン)のアイコンに設定している。2009年8月、横須賀市・日産自動車のエースとして、都市対抗初戦の2回戦で仙台市・JR東日本東北から完投勝利を飾った時のものだ。

晴れやかな4連投

 当時は社会人5年目の27歳。全て先発で4連投となった準決勝、豊田市・トヨタ自動車戦は、七回に相手の9番・二葉祐貴選手に甘く入った初球を左翼席へ運ばれた。この回でマウンドを降り、0―1で敗退。その年限りでの休部が決まっていた日産自動車の都市対抗が幕を閉じた。

 「負けたのは自分の責任。それでも『楽しかった』という気持ちが大きかった」。4試合で31イニング、計426球を投げて4失点。晴れやかな気持ちになれたのは、濃密な1年を過ごせたからだ。

「ええやないか!」

 東京国際大から05年に日産自動車に入社した。層の厚い投手陣の中で3年間、ほとんど出番はなく、「自分でもどうしていいのか分からなかった」。次第に萎縮し、練習以外は誰とも話さず、休日は地元・埼玉に帰るなど殻にこもった。

 4年目の夏、転機が訪れる。…

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