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異次元との決別

日銀が異次元の金融緩和策を転換する節目を迎えています。過去からの「決別」といえる状況で、日銀やその周辺の動きに迫ります。

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異次元との決別

「デフレ脱却後のビジョンを」アコード見直し必要 野田佳彦元首相

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インタビューに答える立憲民主党の野田佳彦元首相=2024年4月1日午後3時38分、藤渕志保撮影
インタビューに答える立憲民主党の野田佳彦元首相=2024年4月1日午後3時38分、藤渕志保撮影

 日銀がピリオドを打った異次元の金融緩和は、2012年末、安倍晋三元首相率いる自民党が民主党(当時)から政権を奪還したことが実施の契機になった。当時からその危うさを指摘し、安倍氏と論争してきた立憲民主党の野田佳彦元首相(66)は、政府と日銀の政策協定である共同声明(アコード)を見直し、「デフレ脱却後のビジョン」の設定を訴える。

 ――日銀が異次元緩和からの脱却を決めました。この判断をどう評価しますか。

 ◆異次元緩和を始めた黒田東彦前総裁の時代を含めると、遅すぎる判断だった。もっと早い段階で出口を探り当てる努力をすべきだった。ガラパゴス政策を取り続けた結果、日本は井の中の蛙(かわず)になった。

 YCC(イールドカーブ・コントロール)で長短金利操作をしたのは日本だけ。マイナス金利政策を導入した他国もそこまでは踏み込まなかった。日本だけがやみくもに継続し、ぬるま湯に慣れきった「湯の中の蛙」になった。ゆで上がっていることにも気づかなかった。

 ――異次元緩和から脱却する「出口戦略」を担ったのは、決定時の当事者でない植田和男総裁でした。

 ◆黒田氏は本来、任期後半には政策変更に向けた地ならしをしなければいけなかったが、出口の議論すら封印した。野球で投手が交代する時は、マウンドを平らにならして次に託すのが礼儀だ。海外要因とはいえ、2%の物価安定の目標を超える物価上昇は22年4月以降、続いていた。YCCのゆがみを正すことくらいはできたのではないか。

 植田氏は長期金利の柔軟化などに段階的に取り組み、1年をかけて周到に準備していた。今回の決定に政府や民間企業が抵抗しなかったのは、日銀が各地の講演などで瀬踏みし、コミュニケーションを上手にとってきたからだろう。ただし、円安が止まらない点は…

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