「生きているうちに」 空襲被害者ら、超党派議連と立法目指す

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第二次世界大戦中の民間人空襲被害者救済を求める記者会見で、被害者を代表して法成立を訴える河合節子さん。東京大空襲で母親と弟2人を失い。父親は大やけどを負った=東京・霞が関の厚生労働省で2024年4月22日、栗原俊雄撮影 拡大
第二次世界大戦中の民間人空襲被害者救済を求める記者会見で、被害者を代表して法成立を訴える河合節子さん。東京大空襲で母親と弟2人を失い。父親は大やけどを負った=東京・霞が関の厚生労働省で2024年4月22日、栗原俊雄撮影

 第二次世界大戦下の空襲被害者で、国に救済を求める「全国空襲被害者連絡協議会」が22日、厚生労働省で記者会見を開いた。1945年3月10日の東京大空襲で母親と弟2人を奪われた河合節子さん(85)は被害者を代表して「当事者が生きているうちに、救済法を成立させてほしい」と訴えた。超党派の国会議員連盟と連携し、早期の救済立法を目指す。

 法案の柱は、大戦中の空襲や沖縄の地上戦などで障がいやケロイドを負った生存者らに一律50万円を支給することと、被害の実態調査を行うことなど。対象は直近の推計で4200人程度、予算総額は21億円。

 大戦中、米軍の無差別爆撃で、およそ50万人が死亡した。政府は52年発効のサンフランシスコ講和条約でアメリカへの補償請求権を放棄。元軍人・軍属や遺族らには累計60兆円の補償や援護を行ってきたが、民間人空襲被害者には「国が雇用していなかった」などと補償を拒否した。70~80年代に、社会党などの野党が「戦時災害援護法案」を計14回、国会に提出したが与党自民党の反対ですべて廃案となっている。

 2007年、東京大空襲の被害者ら131人が、国の謝罪と補償を求めて東京地裁に提訴。13年に最高裁で敗訴が確定したが、同じく敗訴が確定している大阪など他の空襲被害者とともに救済立法を目指して活動してきた。野党は党内手続きを完了しているが、与党が進まず法案提出に至っていない。

 議連は会長、事務局長不在で活動を休止していたが今月、自民党衆院議員の平沢勝栄・元復興相が会長に、松島みどり・元法相が事務局長に就任。松島事務局長は18日のブログで法案を「今国会に提出したい」とし、「今でも遅すぎるくらいですが、戦後80年を前にウクライナやガザの映像が日本国民の関心を集めている今を失すると、立法の可能性は絶望的に薄れると危惧しています」などとしている。

 河合さんは「戦争さえなければこんな苦しみはなかった。対象者がどんどん減っています。本当に時間がありません」などと話した。自身は立法がかなっても対象にならないが、「不十分ではあってもこういう法律ができれば、次の世代の一つ手がかりになる。戦争は必ず民間人の犠牲が伴うことを政策の視野に入れてほしい」と語った。

 空襲被害を巡ってはイギリス、ドイツなどが一定の補償をしている。【栗原俊雄】

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