バーで聴く美空ひばりの「反戦歌」=鈴木琢磨(オピニオン編集部)
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バー「雅遊舎」に美空ひばりさんの「一本の鉛筆」が流れています。♪一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く……。わがまち石神井公園(東京都練馬区)そばの裏通り。ある夜、ウイスキーを飲みつつ、82歳になるマスター、前川雅之さんの問わず語りに耳を傾けていると、ぼそっと口にする。「ぼくが生まれたのは北京の王府井(ワンフーチン)。真珠湾攻撃の2カ月前でね」。えっ? ちょっと酔いがさめそうな気がしたので、その続きはまた改めて、と夕暮れどきに再訪したというわけです。
やはり戦争をめぐるドラマがありました。マスターの父は大手商社マン。満州(現中国東北部)に渡り、ふたつの支店を経て、北京へ。「1941年10月、その異郷の地で誕生した長男がぼく。だから北京は第二の故郷でね」。2年後、父は召集され、ビルマへ派兵されます。「ぼくは横浜の本牧にあった父の実家に身を寄せる。祖父が屋敷に大家族で暮らしていたんです。おぼろげな記憶ですが、敗戦が色濃くなると横浜上空にも米軍のB29が飛来し、焼夷(しょうい)弾が落とされるたび、防空壕(ごう)に駆け込みました。ぼくはおばさんに抱かれてね。その屋敷も大空襲で焼けましたが」
被爆地・広島で「第1回広島平和音楽祭」が開かれたのは74年8月9日、この舞台でひばりさんが歌ったのが「一本の鉛筆」でした。映画監督の松山善三さんが詞を書き下ろし、映画音楽を数多く手がけてきた佐藤勝さんが作曲を担当、曲ができあがったのは本番3日前のこと。ひばりさんは譜面を手に「戦争が二度と起こらないように祈りましょう。この歌は私にとって永久に残る歌です。イバラの道が続こうとも私は歌う」。そう宣言し、ギターにあわせ歌いだしたそうです。現場をルポした「サンデー毎日」(9月1日号)のタイトルは「あれ! いつ反戦歌手に」。演歌の女王の「変身」に記者も驚いたに違いありません。
なぜ、ひばりさんが戦争を憎んだのか?…
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