サッカー元日本代表FWで解説者、指導者、タレントの武田修宏氏(56)が15日、能登半島地震の復興支援を目的とした日本サッカー協会の「能登半島地震JFAプロジェクト」で、石川県七尾市を訪問。同市内の県立七尾高の体育館で、3学年合わせて6回の授業を行った。

武田氏は、5日に同県珠洲市で行われた同プロジェクトの第1回に、元日本代表FW永島昭浩氏(60)GK都築龍太氏(45)MF橋本英郎氏(44)石川直宏氏(42)と参加し、同市内の保育園、小中学校でサッカーの指導を行った。第2回の今回は、石川県金沢市出身・在住の北京五輪ソフトボール女子金メダリストの坂井寛子氏(45)と一緒に、体育の授業を6コマ担当。300人の生徒が集まり、武田氏は男子にサッカーを、坂井氏は女子にソフトボールを、それぞれ指導した。

武田氏は育成年代の指導、普及に力を入れて取り組んでおり「能登半島地震JFAプロジェクト」についても、日本代表OB会からのボランティアのオファーに前向きに応じてきた。そんな同氏にとっても、第2回となった七尾市への訪問、活動は運命を感じずにはいられないものだった。

実は、元日に能登半島地震が発生した際、実兄が妻の実家がある七尾市に家族で帰省して、被災した。兄一家は車で石川県外に避難したものの、妻の実家は被災し、断水のため一家は同市役所への避難を余儀なくされた。また県立七尾高は、武田氏にとって義理の姉にあたる、兄の妻の母校だった。今回のボランティアのオファーは急だったが「兄が妻の実家に帰省中に被災した、七尾市の力になりたいと思っていたところにきたオファーだったから、二つ返事で行くことを決めました」と語った。

武田氏は指導後、生徒からの質問にも応じた。「壁や挫折した時にどうすれば良いか?」と聞かれると「人間を、次のステップにパワーアップしてくれる時と思い、努力を積み重ねること」と伝えた。また「人生で1番、大変だった時は?」と聞かれると、32歳だった1999年(平11)にJ1のジェフユナイテッド市原(現J2ジェフユナイテッド市原・千葉)を戦力外になったことと、1億円以上の貯金を仲間に横領され、傷心のままパラグアイのスポルティボ・ルケーニョに単身で移籍した時を挙げた。その上で「でも今、思うと、そういう時があるから今がある」と答え、被災し、心身ともに傷ついた生徒たちに寄り添った。

武田氏は、七尾高の黒坂昭弘副校長が義理の姉の同級生だと知り「兄嫁の同級生で、すごい縁を感じました」と感慨深げに語った。生徒の喜ぶ顔を見て感じるものがあり、予定を延ばして現地に滞在し、明日16日もボランティア活動を行う意向を示した。