2月に閉幕したAFCアジアカップ(アジア杯)カタール大会を支えた日本人審判団に、3人の国立大出身者がいた。大会2試合目のインド-オーストラリア戦で史上初めて女性審判員として主審を務めた山下良美さん(38)、同試合で副審の坊薗真琴さん(43)、同試合でアシスタントVARを担当し、キルギス-サウジアラビア戦も裁いた飯田淳平さん(42)は、みな東京学芸大の卒業生だ。
東京・小金井市に位置する各学年1000人程度の小規模大学出身者がドーハに集結。教員養成系大学卒の3人が語り合った。
偶然か必然か。学芸大出身の審判員は多い。日本人審判団のムードメーカー的な存在でもあった01年に入学の飯田さんは「結果的に偶然だけど、3人もいるのはすごいこと。大学の大事な仲間と一緒にこういった素晴らしい大会に参加できるのはありがたいです。紫色のロゴでね」と大学のユニホームカラーと同じ色の大会ロゴを指して笑った。
99年入学の坊薗さんは「正直たまたまだと思います」としつつ「だけど、私たちだけではなくて、学芸大って歴代の素晴らしい審判の先輩がいて、その方々が築き上げた魂というか、そういうのは、ずっと感じている。引き継ごうと思って、そういう誇りが続いている。結果として、ここにそろったとのかなと。願望も込めてですけど、そう思っています」と穏やかな表情を浮かべた。
04年入学の山下さんは「私はそんなに偶然ではないというか、むしろ先輩がいたから、フォローしてもらってここに来られたと思っています」と持論。自身の同級生には1級審判員が5、6人いるといい「それは学芸大がサッカーをプレーしなくても、この先もサッカーに関わっていけるようにと道を作ってくれて、私たちにいろいろな可能性を教えてくれてたからこそ、たくさん審判員がいて、その中で、ここで集まることができた」とうなずいた。
多様性に富んだ学芸大のカラーが表れる。日本代表クラスの選手を何人も輩出するほどの強豪校ではないが、クラブや連盟、リーグのスタッフ、審判とさまざまなキャリアを歩む人がいる。
飯田さん 「あまり大きすぎないコミュニティーで、選手やクラブで上に行く人とか高校のサッカー部の監督とかいろいろな人たちとやらせてもらえるのはありがたいですね」
坊薗さん 「本当にいろいろな道に進む選択肢が学芸大にはあって、それを認めてくれる空気を感じる。だから私も選手を辞めるタイミングで指導者になるか、審判になるかで結構悩んでいたんですけど、指導者の土台もあったと思うし、審判を選んでも教えてくれる先輩方もたくさんいました。いろいろなことを選べる土台がしっかりある場所」
坊薗さんは、面識こそなかったものの、学生時代の飯田さんをよく覚えているという。
坊薗さん 「自分はよく授業をサボってフリーキックの練習とかしていたんですけど、誰もいないグランドのはずなのに、なんかぐるぐるとグラウンド中で変な動きをしている人がいたんです。『エアー審判』。笛はたぶん向いちゃいけないっていう配慮でしたけど。それが第一印象。あれはイメージトレーニングか何かですか? これカットですか? (笑い)」
飯田さん 「それ本当にぼくでした?(笑い)」
高校時代から審判員を目指して入学した飯田さんは、学生時代からストイックに審判技能の向上に努めていたという。女性審判員のパイオニア的存在となった山下さんを審判の道に導いたのは坊薗さんだった。同大女子サッカー部のコーチとしてチームに出入りする中で、後輩の山下さんが誘われた。
山下さん 「何かの大会みたいなのに連れてこられて、最初の試合か2試合目で荒れてしまって。元々1試合やる予定だったんですけど、手に負えなくなってしまい、フェスティバルみたいな感じだったので、ハーフタイムで、『もう無理です』と先輩に代わってもらいました(笑い)」
坊薗さん 「私が先輩としてなんとか片付けるという(笑い)。本当に崖から突き落とすみたいな感じで、ただ行かせた感じだったので。でも(山下さんは)向上心が本当にあるので、もうちょっとこうすればよかったのかなとか話して、続けていった感じでしたかね」
審判に触れる環境が自然にそろっていたのだろう。教育学部しかない大学。審判への適性につながりやすい土壌があるのかもしれない。
山下さん 「全部教育学部で、(教育課程の中に)人との関わりがある。審判員もすごく人との関わりが多い。私はそれが一番苦手なので、自分で言えることではないんですけど、でもそういうのは、すごく関係しているのかなと勝手に思います。指導者になる人も多い。学んだことがやはり関係しているのかなと思います」
坊薗さん 「自分が主役になるというタイプではなくて、人のために尽くせるとか、本当に周りの人を考えていろんな行動ができる人たちがすごく多いのではないかなと思います。表には立たないけど、チームを支える人とか、審判も代表的な例かもしれないですけど、そういう尽くせる人たちが多いのは、やはり教育学部のあれがあるんですかね」
飯田さん 「ぼくはあんまり学芸っぽくないんですけど…(笑い)。『こういう人が審判に向いてますよ』というのは当然ないと思います。ただ、学芸大に入る人は、もちろん全てではないんですけど、教員を目指している人が多いので、あのエリアが、小金井市の貫井北町が、そういう『穏やかな民族』の集まりなのかなと思います。大きな大学だったらひょっとしたら埋もれてしまうかもしれないですけど、学芸だからというのはあると思います」
飯田さんがそうだったように、教員をしながら審判員を続ける人も多い。今回、取材に応じてもらった3人以外にも、22年に引退した山内宏志さん(45)、鶴岡泰樹(43)将樹(40)兄弟、赤阪修さん(38)、宇田賢史さん(38)、長谷川雅さん(33)、柳岡拓磨さん(32)、高崎航地さん(31)ら同大学出身者がJリーグの舞台で活躍している。
昨今の審判員は、映像技術の向上もあり、判定をめぐって何かと非難の対象になりがちな職業だ。ただ元々レフェリー(Referee)は、「委ねる」という意味の「Refer」が語源だという。選手だけでは試合が成り立たないから、お願いしてやってもらっている、という立て付けだ。今回初めて審判員を取材して感じたのは、当たり前だが、彼らも人間だということ。話の端々に人間味があふれており、ウイットに富んでいた。ピッチ上で毅然(きぜん)とした姿ばかりを目にしていたこともあり、不思議な感覚だった。
試合後にSNSで、審判員がまるで犯罪者であるかのような扱いの書き込みを見ると、もう少し、リスペクトがあってもいいのではないかと感じることがある。彼らも心ある人間であり、ロボットではない。当然、審判員の技術向上は不可欠だが、その社会的地位が上がることも日本サッカー界全体の発展には必要な気がする。【佐藤成】