100年前、センバツは名古屋から始まった 「客席はすし詰め」
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「春はセンバツから」のキャッチフレーズで親しまれ、今年で誕生100年を迎える選抜高校野球大会。8月に開場100年を迎える阪神甲子園球場とともに歩み、「春の甲子園」とも呼ばれている。だが、第1回大会の舞台は名古屋にあった「幻の球場」だった。甲子園で春最多5回の優勝を誇る東邦、春夏合わせて最多11回優勝の中京大中京を擁する野球王国・愛知からセンバツは始まった。
1924(大正13)年4月1日、名古屋は風もない絶好の天気に恵まれた。郊外の丘陵地・八事の山本球場。収容人員は2000人、赤土で、外野はトタン板を張り巡らせただけの素朴なグラウンドに、まだ暗い午前3時から観客が詰めかけた。試合開始2時間前の午前8時過ぎには「南北両スタンドはすし詰めの身動きもならぬ有り様」だった――。第1回全国選抜中等学校野球大会の熱気を大阪毎日新聞(大毎、毎日新聞の前身)はそう伝えている。
主催は大毎名古屋支局。午前9時、行進曲が演奏される中、地元の愛知一中(現旭丘高)、市岡中(大阪)、立命館中(京都)、和歌山中(現桐蔭高)、高松商(香川)、松山商(愛媛)、横浜商(神奈川)、早稲田実(東京)の8校の選手が「嵐のような喝采と声援」を浴びながら入場し、5日間にわたる熱戦が幕を開けた。
大会を発案したのは、大毎和歌山特派員をしていた安井彦三郎だ。当時、中等野球の全国大会は、大阪朝日新聞(朝日新聞の前身)が15年に始めた全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)だけ。安井は中等野球界のリーダーで和歌山中OBの出来助三郎と懇意になり、「権威ある全国大会を新設しよう」との考えで一致して本社に提案した。予選で代表を決める朝日の大会と異なり、大毎が過去1年間の試合成績などで最強チームを選んで戦わせる方式になった。
なぜ、名古屋で開かれたのか。…
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