この国には、とてつもないテーマパークが横たわっている。お酒の森──。この森は、計り知れない巨大な遊園地だ。この森で日々繰り広げられる物語もまた、アミューズメントパークの比ではない。出会い、ロマン、ときめき、冒険、スリル、サスペンス、感動のあらしが吹きまくっている。ひとたびこの液体が喉を通過すれば、人は目くるめく世界にいざなわれる。高額な入場料はいらない。数個の百円玉を握りしめ、コンビニに飛び込めばいろんなお酒が手に入る。
店の外でシュパッとお酒の缶を開け、ゴボゴボゴボと喉に流し込めば、もうあなたはお酒の森の中にいる。手軽で簡単、しかも入場料金は安価。貧富の差もなく、実に都合よくできている。
わかっちゃいるけどやめられない。じきに、酒量が増えたことに気づく。酔い方もひどい。そういえば最近、お酒のことばかり考えているような――。こうなってしまったら危ない。自分の意思では止められないアルコール依存症。その底なし沼から生還を果たすには、何が必要なのか。アルコール依存症の人々の悲哀を描いた『だから、お酒をやめました。「死に至る病」5つの家族の物語』より、一部抜粋してアルコールが壊した人々の日常、そこから生還することの難しさを紹介する。
これは他人事ではない。
ちゃんと母でありたい
高校に行きたかったけどお金がない。中学を卒業した私は、駅のそばのガード下の立ち食いそば屋で働きました。はじめてお酒を飲んだのはその頃でした。「もう16歳だから、いいだろう」と、父さんがいつも飲んでいる、トリスを炭酸で割ったハイボールを勧められた。はじめてのお酒に酔った私は、涙が止まらなくなってしまった。ずっと貧乏だったこと、母さんを叩く父さんの姿、高校に行けなかったこと、「お前の父親はダメな男だ」と親戚に言われ続けてきたこと。悔しい思い出が次々と頭の中に渦巻きました。
「こずえ、飲み過ぎだよ。いい加減にしな」。母さんに叱られたことを覚えています。
近所の酒屋で密かにビールを仕入れるようになったのは、24歳で次女を出産してからでした。小さな冷蔵庫を買って寝室の隅に置いて、押し入れや台所の下に隠しておいた瓶ビールを少しずつ取り出してグッと飲む。そのうちにお酒を飲んだほうが、家事がはかどることに気づきました。夕方から飲みはじめて酔っぱらうと気持ちが楽になって、料理もテキパキとこなせるのです。これはいいわ。
キッチンドランカーのはじまりです。
アルコール依存症って、つまりアル中のことか……父さんは朝からお酒を飲んでいる人でしたから、幼い頃から〝アル中〟という言葉は知っていました。
私も父さんと同じになってしまった……。
働かず、酔っぱらって母さんに暴力を振るう、あんな人間にはなりたくないと思っていたのに。悔しかったけど、センターの相談員に紹介された病院や、自助グループを訪れる気はありませんでした。
父さんはお酒に飲まれてしまった。でも私は父さんのようにはならない。私の十代は親のお酒で台無しだったけど、お酒を自分の力でコントロールしてみせる。うまくやってみせる。
湧き起こるそんな感情はお酒への復讐で、お酒を断ち切ることなんて考えられなかった。
3か月の入院生活でした。入院患者にはいろんな人がいました。中でも5回も入退院を繰り返しているという、赤い口紅が印象的な水商売の初老の女性の話は心に刺さった。
父さんも母さんもアル中、弟も私もアル中……あんたが私のように一人ものなら、飲んで死ぬのも勝手だよ。でもあんたには子どもがいるんだろう。アル中をあんたで断ち切らないと、子どももあんたみたいになるよ。酒飲みの母親の姿を見て育った子どももアル中になるんだ。
この話は怖かった。父さんはお酒に飲まれましたが、私はお酒をコントロールしてうまく飲んでやる。お酒に復讐してやると思った。でも、逆に忌まわしい連鎖にからめ取られて、復讐どころか奈落の底に沈んだ。
復讐する相手が悪い。お酒に復讐なんてできない。アルコール依存症という私の家系の連鎖を断ち切ることが大切だ。退院のときはそんな決意を抱いていました。
その日もいつものように、私はいいちこのソーダ割を3、4杯飲んで。焼酎がなくなった。コンビニにお酒を買いに行こうと玄関に出たら、外出する次女と鉢合わせになった。
「あんた、お酒飲んでるでしょう」
目と目が合うと、次女にトゲのある言葉を投げつけられました。「飲んでないわよ……」
「ウソ!」「ウソじゃない、飲んでないわ」「どうしてそんな見え透いたウソを言うのよ!」
ウソつきは、アルコール依存症の特徴です。私のウソに、次女の幸はこれまでの鬱積した感情がこみ上げてくるようでした。
「飲んでいるじゃない! どうしてウソをつくの!」
次女は一瞬、言葉を切ると針のように刺さる言葉を浴びかけてくる。
「お酒を飲んでウソついて、自分勝手に家を出てもう帰ってこないのかと思ったら、いつの間にか戻ってきて。あんた、あんまりにも自分勝手じゃない!」
断酒会に参加して得たこと。それは「認める」ということ。自分の飲酒体験を語り、参加者の飲酒体験を聞いて。酒害体験を掘り起こし、過去の過ちを素直に認める。私たちは家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをします」。それは例会の最初に暗唱する「断酒の誓い」の文言の一つです。
迷惑をかけた子どもたちへの償いは、いいお母さんになることです。私の手料理を食べているときの子どもたちの笑顔、その笑顔こそが私にとって、いいお母さんの証しでした。子どもたちを笑顔にしたい、子どもたちの笑顔を見たいのなら、「認める」ことが何よりも大切だと、断酒を続ける中で気づいていったのです。
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いかがだったでしょうか?
『だから、お酒をやめました。「死に至る病」5つの家族の物語』は、日々のお酒や自己との向き合い方を深く考えさせてくれる一冊です。
そして誰もがこの〝お酒の森〟に迷い込む可能性があるのです。彼らの物語を反面教師としてお酒との付き合い方を考えてみませんか?
今回紹介した書籍はこちら
『だから、お酒をやめました。―「死に至る病」5つの家族の物語』(光文社新書)
文/根岸康雄