多くの文学作品などに登場する『不如帰』の読み方を知っていますか?不如帰の正しい読み方や漢字の由来について紹介します。多数ある不如帰以外の表記や不如帰がタイトルの小説や映画にも触れるので、この機会に不如帰についての知識をより深めましょう。
不如帰は何と読む?
読み方が分からない人もいるかもしれませんが、不如帰は日本人になじみ深い鳥の名前です。不如帰の読み方やどのような鳥なのかを紹介します。
読みは「ホトトギス」、多様な表記の一つ
不如帰は『ホトトギス』と読みます。当て字であるため、知らないと正しく読めないことが多いでしょう。『ふじょき』と読むこともあります。
ホトトギスは、別の漢字表記ではないかと思う人もいるでしょう。実は、ホトトギスには複数の漢字表記があるのです。代表的なものは、『時鳥』『子規』『杜鵑』『郭公』『杜魂』『蜀魂』などになります。
不如帰はどのような鳥?
ホトトギスは、全長が28cmほどの夏鳥です。中国・インド・アフリカなど広範囲に生息していますが、5月ごろになると日本に渡来します。
頭部から背中にかけては少し青みがかった濃い灰色で、胸部から腹部にかけては白色です。胸部と腹部の黒い横しまや目の周りの黄色いアイリングが特徴です。『かっこう』とよく似た体形や色彩をしていることでも知られています。
ホトトギスは、ウグイスが生息している森林やその周辺の草木が生い茂っているやぶなどで見られます。巣を作らず、ウグイスの巣に卵を産み、育ててもらう『托卵』という習性があるためです。秋ごろになり繁殖を終えると、日本を離れて越冬のため南に向かいます。
俳句や短歌にも数多く登場
不如帰は万葉集にも登場するほか、数多くの俳句や短歌に用いられています。具体的にどのように使われているのか見ていきましょう。
初夏の季語
初夏に日本に渡来してくるホトトギスは、古くから初夏の風物詩として捉えられていました。そのため、初夏の季語として数多くの俳句や短歌に登場しています。
江戸時代の俳人である山口素堂の句に、『目には青葉 山ほととぎす 初鰹』があります。江戸の人々が、初夏を感じていた物を詠んだ句です。初夏のみずみずしい木々を眺め、ホトトギスの鳴き声を聞きながら、旬のカツオを堪能していたのかもしれません。
万葉集に収められている歌に、『鶯の生卵の中に霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず…』という一文があります。霍公鳥は、ホトトギスの漢字表記の一つです。托卵のため、誕生したヒナが父母のようには鳴かない様子を詠んでいます。
戦国三英傑の句で有名
数えきれないほどの文学作品に登場するホトトギスですが、広く知られているのが戦国三英傑を詠んだ三つの句でしょう。
- 織田信長:鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス
- 豊臣秀吉:鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス
- 徳川家康:鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス
三英傑それぞれの人間性や天下統一への戦略の特徴を表現しています。短気で残忍な信長、努力家で要領がいい秀吉、保守的で忍耐強い家康というのがイメージでしょう。
これらの句は、平戸藩第9代目藩主である松浦静山の随筆『甲子夜話(かっしやわ)』に出てきます。20年間にわたり書き続けられた278巻もある『甲子夜話』は、江戸時代を代表する随筆の一つです。
不如帰と書くのは縁起がよくない?
中国の故事に由来がある不如帰は、縁起がよくないといわれることもあります。どのような由来があるのでしょうか?
表記は中国の故事に由来
不如帰は、『帰るに如しかず(かえりたい)』という意味で、中国の故事に由来があります。
古代中国の蜀の望帝・杜宇が、家来の妻と不貞を働いたために退位させられます。望帝は不徳を恥じ国を逃れたものの、その後復位を望みますが叶わずに亡くなり、ホトトギスに姿を変えて『不如帰(かえりたい)』と泣いたというのがストーリーです。
国に帰りたいけれど帰れなかった望帝の悲しく不幸な人生が、縁起がよくないとされる理由の一つです。盛唐以降の漢詩にはホトトギスが頻繁に登場し、望郷の念を募らせる鳥として詠まれています。
独特な鳴き声が不吉とされる場合も
ホトトギスの鳴き声は、『テッペンカケタカ』や『トッキョキョカキョク』などと表現されることがあり、鋭くせわしないのが特徴です。大きな声で激しく鳴くことが多いため、ホトトギスの鳴き声を真似ると血を吐くといった迷信もありました。
また、ホトトギスの口の中が真っ赤なことも、血を吐くと言われるようになった要因の一つです。
夜間に強烈に鳴き続けることもあり、人々は尋常じゃない様子に恐ろしさを抱くこともあったようです。夜に鳴くことや、鳴き声がするものの姿が見えないことなどから、冥土に通う鳥ともいわれ、縁起が悪いとされる不如帰という表記が当てられたとされています。
不如帰は徳富蘆花の小説でも知られる
明治・大正時代の作家である徳冨蘆花が知られるようになった作品が、1898年に出版された長編小説『不如帰』です。元々、新聞に連載されていたものが出版され、再販されるほどのベストセラーとなりました。小説のあらすじや小説を元にした映画について紹介します。
海軍少尉を主人公とした悲恋小説
海軍少尉の武男と結婚した浪子は、幸せに満ちた新婚生活を過ごしていましたが、浪子が肺病を患ったことで状況が一変します。療養のため逗子で過ごしていましたが、武男が軍務で長期不在中に義母によって離縁させられてしまうのです。
自宅に戻った武男は激しく怒り家を出ますが、日清戦争が始まり浪子との再会を果たせないまま戦地へ向かいます。重症を負ったものの一命を取り留め帰宅した武男は、浪子のことが忘れられずにいました。
ある日、京都駅で神戸行きの列車に乗っていた武男と東京行きの列車に乗っていた浪子は、偶然にもお互いを見かけます。数秒でも再会できた嬉しい瞬間でしたが、これが永遠の別れとなってしまう、というのが大まかなあらすじです。
映画化も多数
1910年以降、小説を元にした映画が何度も制作されています。58年に公開された映画には、現在もドラマなどに出演している大空真弓や、数多くの本の出版も手掛けた丹波哲郎などが出演しています。
美しくもはかない悲恋物語だけでなく、戦時中という時代背景や古くからの風習などが盛り込まれているのも見どころです。何度も映画化された背景には、昼メロドラマのようなストーリー展開に心を揺さぶられる人が多かったからかもしれません。
不如帰以外の漢字表記と由来
不如帰以外で使われている代表的な漢字表記には、『時鳥』と『子規』があります。それぞれの表記の由来について紹介します。
田植えの時期を告げる「時鳥」
ホトトギスというと、不如帰よりも『時鳥』という表記を思い浮かべる人が多いかもしれません。日本にホトトギスが渡来する時期は、田植えを開始する時期でもあります。ホトトギスは毎年同じ時期に渡来するため、『田植えの時期の到来を告げる鳥』という意味で時鳥と表記されたのです。
古今和歌集には、『いくばくの 田を作ればか 時鳥 しでの田長(たをさ)を 朝な朝な鳴く』という一首が残されています。ホトトギスが田植えを監督する田長に早急に田植えを開始するように鳴いているという意味です。
正岡子規の由来にもなった「子規」
子規というと、日本を代表する文学者の一人である正岡子規を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?子規はペンネームで、ホトトギスの漢字表記の一つなのです。
子規は、ホトトギスを意味する漢語で、ホトトギスの鳴き声や習性からこの字が当てられたと考えられています。
正岡子規が残した俳句の中に、『卯の花の 散るまで鳴くか 子規』という句があります。当時は不治の病とされていた肺結核を患い、長く生きられないことを知り、自身をホトトギスに重ね合わせた句です。
ホトトギスの口の中がまるで血を吐いたように真っ赤であるため、結核で血を吐き苦しむ自身を重ねたとされています。
その他、20以上の異名
異なる漢字表記があるだけでなく、20種類以上の異名があります。前述の『時鳥』のように農耕に関連するものでは、『勧農鳥(かんのうちょう)』や『早苗鳥(さなえどり)』が挙げられるでしょう。
そのほか、『霍公鳥』『蜀魂』『無常鳥』『杜宇』『しでの田長』『田鵑』『夕影鳥』『黄昏鳥』『菖蒲鳥』『橘鳥』『卯月鳥』『妹背鳥』『魂迎鳥』『沓手鳥』『杜鵑』などが知られています。
構成/編集部